大関和(おおぜき ちか)は、幕末の1858年に、現在の栃木県にあった黒羽藩の家老の娘として誕生した。嫁いだ夫には妾がいて結婚後も妾と縁を切らないので、自ら子どもを連れて婚家を出た。

向上心の強い人で英語を学んだことで、鹿鳴館の通訳の仕事を得て、さらに英語による看護婦(トレインドナース)の養成学校に入学して看護婦になった。

当時は女性が自立することは困難な時代であった。後進の育成にも尽くした。その後、当時卑しい仕事とされていた看病婦(かんびょうふ)とは違うトレインドナースとしての看護婦の社会的な地位向上に生涯をかけて尽くした。

当時、猛威をふるっていたコレラや赤痢などの感染症の対策に、まさに体を張って取り組み、死亡率を大幅に低下させる実績を作り、公衆衛生の向上にも大いに尽くした。

ナイチンゲールの精神に基づく看護婦教育を受けた高度の技術と精神性の高さをもって生涯看護にあたった人であった。また、報酬を当てにせず行為自体が報いとの信念を持っていた。

大関和にとって重要なのは、自分が誰かの役に立つことであった。

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